SUZUKA 8 HOURS 鈴鹿8時間耐久ロードレース

北川圭一が語る!8耐の面白さを語ってもらおう

2007“コカ・コーラ・ゼロ” 鈴鹿8時間耐久ロードレース 第30回大会 2007.7.26-29開催

最高位は2000年に2位になったときでした

8耐にはたくさんの思い出があり、自分にとっては特別のレースです。若い時は、自分の我が強くて相手のことを考えることができず、ペアライダーと意地を張り合っていたような気がします。カワサキに入ったばっかりの91年、鶴田竜二と組んだときはそうでしたね。お互い「俺の方が!」って思っていた。ポジションから始まって、セッティングも譲らない。タイヤの選択もなかなか決まらなかった。それでも結果は4位だったのだから、勢いがあったのでしょうね。そして、ダンロップタイヤに助けられた部分が大きかったと思います。
 その後も8耐では懸命に走った。だけど、なかなか表彰台は遠かったですね。海外から強力なライダーがたくさん来ていたし、メーカーもかなり力を入れていたと思います。そこで上位に食い込んで行くのは、今以上に難しかったのだと思います。
 初めて表彰台に登れたのはスズキで、梁明と組んだ時でした。それも何度もトライして、トラブルやら転倒やらいろいろあって、2000年に2位になれた。さすがに歳もとっていたので、お互いに譲り合って、よりいいセッティングのために協力することを学んでいましたが…。

それでも2位になれた感動や喜びというよりは、勝てなかったという気持ちの方が大きかった。8耐の表彰台は、1位以外はおまけのような気持ちになりますね。たったひとつの順位の違いだし、表彰台の隣の位置なのに、天と地ほどの差を感じるのです。登ってみて分かったことですけどね。それでも、僕のライダー人生の中で、あの表彰台が唯一の8耐表彰台でした。あのときは、次は絶対に勝ってやるって思っていたし、このまま終わらないと誓っていたけど、最後まで勝つことができなかった。僕の人生に後悔があるとしたら、8耐で勝つことができなかったことでしょうね。

北川圭一
北川圭一1986年、18歳でロードレースにデビュー。
96年に、スズキファクトリーチームに移籍し、GSX-R750をライディング。ニューマシンのデビューイヤーに優勝を飾るなどの活躍をみる。2000年には鈴鹿8時間耐久レースで2位表彰台を獲得。
2003年には「JSB1000」クラスで7戦中5勝をマークして再びチャンピオンを獲得、あわせて文部科学大臣杯を受賞。TT-F1、Xフォーミュラ、そしてJSB1000と、前人未到の3冠チャンピオンとして歴史に名前を刻んだ。
2004年に全日本選手権に参戦する傍ら、ル・マン24時間耐久レース、ボルドール24時間耐久レースという、世界耐久選手権のヒストリックレースである「マスター・オブ・エンデュランス」に参戦。このふたつの24時間耐久レースでともに優勝。2005年にはフランスのスズキチーム:SERTに移籍。見事、このシーズン5戦中4勝を挙げ、日本人で初めての世界耐久チャンピオンに輝いた。
2006年引退。2007年はスズキレーシングアドバイザーとして活躍。
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