SUZUKA 8 HOURS 鈴鹿8時間耐久ロードレース

北川圭一が語る!8耐の面白さを語ってもらおう

2007“コカ・コーラ・ゼロ” 鈴鹿8時間耐久ロードレース 第30回大会 2007.7.26-29開催

トラブルで優勝を逃した悔しい思い出

 8耐で一番印象に残っているのは2003年、ケンツで挑んだ8耐です。藤原克昭を呼び寄せてマシンを煮詰めました。ダンロップのスタッフも最高のサポートをしてくれて、テストからつきっきりで相談に乗ってくれていた。出来うる最大限のことを僕たちライダーも、チームスタッフもダンロップスタッフもやって挑んだ8耐でした。
 本当にもう少しで勝てたところでした。トップのまま最後の走行を終えて、克昭にマシンを渡して、克昭も「よっしゃー」とピットを離れた。ヘルメットを脱ぎ、汗を拭いていたら、克昭が戻って来た。そこからマシン修復。長かったですね。時間が刻々と過ぎて、マージンが削られて行く。何が起こったのか、何がどうなったのか分からずに待つのは、たまらない気持ちでした。
 克昭が最後の走行のために暗闇に飛び出して行って、とりあえずチェッカーを受けたけど…。優勝は消えてしまった。克昭を送り出した後、ピットはすすり泣きの声や、号泣する声が響いて…。スタッフのほうがつらそうでしたね。自分は泣けなかった。克昭を迎えて、チームハウスに戻っても話すことは何もなかった。出るのはため息ばっかりでした。天国から地獄というのは、このことかと思いました。正に悪夢のようでした。今思い出してもつらいです。

あのままエンジンがかかり続けていてくれたらと考えてしまいます。エンジンをかけるのに必要なセンサーのピンが折れていたそうです。だれのせいでもなく、ただ、そのピンが折れたというだけでした。
 8耐は勝つことができなかった。24時間耐久では何度も勝つことができたのに、8耐は一度も勝つことができなかった。それだけ難しいレースだということです。僕は引退してしまいましたが、今年も8耐の勝利を求めてスズキのライダーたちは挑みます。スズキが優勝する姿を見たいので、僕もできる限りのサポートを誓っています。

北川圭一
北川圭一1986年、18歳でロードレースにデビュー。
96年に、スズキファクトリーチームに移籍し、GSX-R750をライディング。ニューマシンのデビューイヤーに優勝を飾るなどの活躍をみる。2000年には鈴鹿8時間耐久レースで2位表彰台を獲得。
2003年には「JSB1000」クラスで7戦中5勝をマークして再びチャンピオンを獲得、あわせて文部科学大臣杯を受賞。TT-F1、Xフォーミュラ、そしてJSB1000と、前人未到の3冠チャンピオンとして歴史に名前を刻んだ。
2004年に全日本選手権に参戦する傍ら、ル・マン24時間耐久レース、ボルドール24時間耐久レースという、世界耐久選手権のヒストリックレースである「マスター・オブ・エンデュランス」に参戦。このふたつの24時間耐久レースでともに優勝。2005年にはフランスのスズキチーム:SERTに移籍。見事、このシーズン5戦中4勝を挙げ、日本人で初めての世界耐久チャンピオンに輝いた。
2006年引退。2007年はスズキレーシングアドバイザーとして活躍。
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